自己犠牲をやめる

お久しぶりの更新です。

自己犠牲に気付けない問題

自己愛の被害に遭わないためには、「(ダメな)自己犠牲をしない」というのも大きな課題の1つだと思います(良い自己犠牲についてはまた話がずれるので省略)。難しいのは「本人には(ダメな)自己犠牲をしている自覚がない」ということです。

J男の件だけでなく、嫌な人と関わって苦しんでいた時に、冷静な友人から「なんでそんな人相手にするの?縁切ればいいじゃん」と言われて、「た、確かに・・・この人と縁を切っても私は何も困らない!」と気付いたことがあります。自覚ないまま消耗しているって怖いですね。自己愛が相手の場合は、地味な攻撃で責任感や罪悪感を抱かせてくるので、より一層離れるのが難しく、消耗も激しいです。

今はまず、その相手と関わっていて自分が楽しいか、嫌な気持ちが残るかをよくよく自分の中で感じるようにしています。その結果、あまり連絡を取らなくなった友人が数名います。ちょっと寂しい感じもしますが、それ以上に楽だったりします。でも寂しさよりも「楽だな」という感覚を優先できるようになるまでは、結構苦しかったです。そこに、自己犠牲をしてしまった鍵があるように思います。

サイト紹介

その鍵が何なのか知るために、「自己犠牲」についてネット検索をしていた時にたどり着いた以下のページが良かったのでリンクを貼ります。

diveintomyself.funfairfanfare.com

是非全部読んで欲しいですが。勝手に引用してしまいますと、自己犠牲から抜け出すのに必要なこととして書かれている以下の一文、

「自己犠牲が安心の体感への成功法則になっている」ということを見抜いた上で、新しい世界を見ることを意図してください。

が響きました。これが被害に遭った原因の根底にあったものだ、と思います。自己犠牲をすることで良好な関係を作ろうとしていた・・・寂しさや自信の無さを埋めようとしていた部分が確かにあったからです。

毎度同じような繰り返しになりますが、今苦しんでいる人が、無駄な自己犠牲せずとも自分を大切にできる新しい世界を見られるきっかけになればと思います。

深いこと言ってる風で実はアバウトな自己愛。

久しぶりの投稿です。

J男が新たなSNSのアカウントを作って自己発信し始めたのを発見したこと以外は、特に大きな変化はないこの頃です。ちなみにそのアカウントを偶然見つけたことを友人に話すと、別にそれについて愚痴を言っているわけではないのに「まだ見てるの?」とか「見ちゃだめだよ」と言ってくる人もいますが、いちいちそこで傷つかずに「そりゃそれだけムカつくことされたんだよ、見るよ!」って言えるくらいには回復しています。共感してくれる人たちは「大変だったよねあの頃は、ほんとによくここまでたどり着いたよね」とか「また勝手なことされたら嫌だよね(辞めた後に私の写真を勝手に使用されたりしたので←契約違反)、見ちゃう気持ちわかるよー」って言ってくれます。そういう人に共感力使を使っていくことにしています。もう共感力の無駄遣いはしません。

浅い。

SNS上ではまあ相変わらず、深いことを考えていそうな投稿を日々せっせとしています。でも本当は底が浅いことは被害者としてよく分かっているので、「あーあ、いいねついちゃって・・・」とか「誰もいいねつけてないな(笑)」なんて思いながら眺めています。そんな時でも怒りのような荒ぶる感じはもうないですね。

SNSで毎日投稿しているのを見ている中で気付いたことがあって、私が関わった自己愛限定かもしれませんが、「微妙に言葉を間違って使う」という特徴があります。普通なら正しいものが予測変換で出るような言葉を間違っているので、打ち間違いではなさそうです。一度や二度ではなく、ちょくちょくあるので「ん?」となって気付きました。あり得ない間違え方なので、具体的に書くと見つけた人にバレてしまうので書けないのがもどかしいです(笑)

前回投稿した自己愛っぽかったPさんも、笑ってしまうような微妙な誤用が多かったです。

これで思うのが、自己愛は「深いことを考えている風だけど、実際は物事をアバウトにしかとらえていない」んだろうなということです。本質を分かっていないのに分かった風に発信できてしまうのが、不気味で不愉快です。

回復してきたなあと思うこと

自分のことに関していうと、冒頭で書いたように、自己愛以外の人から不愉快なことを言われたときに、いったん受け止めてしまうようなことはちょっと減ったかもしれません。言い返すまではいかなくても、ヘラヘラしてやり過ごさずに「え?」「もしかして私今、disられてます?」としれっと言えるように、シミュレーションもしています。幸い使うタイミングはまだないですが(笑)

もう1つは、J男と関わったことで参加する気力が無くなっていた趣味を再開できたことです。別にJ男がその趣味に関わっていたわけではないのですが、自尊心がすり減っていくと「自分が自分のために楽しむこと」から徐々にできなくなっていったなあと思います。趣味に続いて、髪を切りに行くこと、服や化粧品を買うことが億劫になり、歯を磨いたりお風呂に入ってから寝ること、食事をすることもしんどくなり、ついに仕事に行けなくなったので。

その趣味は体を動かすことなので、休止している間は体もどんよりしてしまっていたのですが、数年ぶりに再開してみて「ああ、この感じが好きだったなー」と思えて、本当に心地よい時間でした。

ずっと通っているカウンセリングも、ひたすら辛い気持ちを吐露する時期は過ぎたようで、行っても「あとは何を話そうかなあ」「これただ愚痴聞いてもらってるだけですね(笑)」という感じになることが増えてきました。月1回、予約した日が待ち遠しくて仕方なかったのが、今は通う間隔を空けられるようにもなりました。自己愛被害に遭ってしまった私の根本的な問題の解決は、もう少し時間がかかると思いますが、そこに対する焦りもなくなりました。

回復の過程を書くこと

なんでこんなことを書くかといいますと、自己愛のおかしさに気付いて逃げる覚悟を決めるまで・決めてからも、「このこんがらがった気持ち、離れたらどうなるの?」という不安・・・寂しさに似た気持ちがあったからです。被害者でないとなかなか信じられないと思いますが、それだけ嫌な思いをして、逃げなきゃと思っていても、自分のほうから離れることが悔しいというか、まだ心の奥に「頑張れば分かってくれるはず」という期待のようなものが消し去れませんでした。浮気を繰り返す人と別れられないのと同じ心理でしょうね。離れることであっさり関係が終わり、またあっさり次の人を雇うことも予測できていたので「やっぱり大切にされていなかったんだ」「私が頑張ってきたのは無意味だったんだ」というのが明らかになるのが悔しかったです。

当時は、他の被害者の人がどんな気持ちの変遷の中で回復したか知りたかったので、こうして回復してきてからも自分語りしています。

何度か書いていますが、自ら自己愛と離れると、そういう悲しさ虚しさは必然的にやってくると思います。私もしばらくは「何だったんだろう・・・」と思って泣きました。でも私の場合は、1、2週間もすれば怒りと開放感に変わりました。ここで書いてきたように、周りの人たちの優しさのおかげというのもあったと思います。被害を受ける期間が長いほど、吹っ切れて立ち直るのに要する期間は長くなるかもしれません。

だから、今蟻地獄から抜け出したいけれど出来ない人は、1日でも早く抜け出す覚悟を決めてほしいし(実際に抜け出すのはよく状況を読んで)、今話を聞いてくれる周囲の人を大切にしてほしいなあと思います。

自己愛と関わっている以上、辛さや愚痴を言わずにいられなくてウザがられがちですが、「聞いてくれてありがとう」という気持ちと「でも絶対に抜け出すから」という意思を感じられれば、心ある人なら最後まで力になってくれると思うので・・・。

被害に遭うような優しい人が、1日でも早く回復することを祈っています。

本の紹介を書きたい

回復のために読んで役立った本を紹介したいのすが、こうして時間をかけて投稿しているので、せっかくならAmazonアフェリエイトリンクで貼りたいなあ・・・なんて欲を出しているので設定ができていなくて、書けないでいます。そのうち、そのうち。

J男以外の面倒な人

自己愛関連で最近時々思い出すことがあって、まあ愚痴なんですが、聞いてください。

J男ではない、昔の職場の先輩だった男性(私より1つ上)の話です。Pさんとします。自己愛だったかは、当時そういう知識もなかったので判断しにくいのですが、その職場を辞めた今でも当時の同僚と話題に出るほどの性格の悪さでした。

  • 常に必ず誰かマウンティングするターゲットがいる
  • 酔っぱらうとターゲットの1人(女性、立場的にその職場で一番下)あてに、深夜早朝に罵詈雑言満載の長文LINEを何通も送る、その女性の責任ではない内容で。
  • 泥酔して記憶を失い、深夜に警察に保護された時もその女性(既婚!)に連絡が来て引き取りに行かされたそう
  • すべての判断基準が勝ち負け、損得

などなど、明らかにヤバいのを隠せていないので皆に嫌われていました。いろいろな名言(迷言)があるので同僚との間で「P語録」ができたほどです。

不思議なのは最初はそんな人ではなかったということです。仕事もそこそこできて、結構気のいい頼れる人だったんですけどね。婚活がうまくいかなかったり、仕事で私たち周囲がPさんを褒めないなどで、どんどんこじれていった気がします。

私はその職場に入ったのがPさんの紹介だったもので、入ってすぐから2年間くらいは格好のターゲットになりました。当時書いていた日記を読むと、ひたすらPさんの愚痴です。最初は私も未熟な面もあるし、と言い聞かせて気持ちを切り替えて頑張っていましたが、とにかく、何を話していても、ダメ出し。仕事とは関係ない雑談を話していても、最終的になぜか「ペグちゃんはこうしたらいいんだよ」と。私はその先輩から教りたいことはなかったので、「なんで毎回毎回、聞いてもないのに上から目線で言われるんだろう」と常にげんなりしていました。Pさんのこじらせ具合が表出する前で、新入りだったこともあって周囲も分かってくれなくて、むしろ「Pさんに対してあんなこと言ってて甘い」みたいに明らかに私のことを書いている同僚のSNSを見てしまったこともあったりして、かなり辛かったですね。

その後、一切無駄な会話をしないようにしたのと、タイミングよく新人が入ったことでなんとかメインターゲットからは切り抜けられました。雑談をやめるようにしてしばらくして、「最近は悩みとかないの?」とよく聞かれるようになりました。え、私、一度もあなたに悩み相談したことないんですけど・・・。すべてが相談だと思われていたみたいでかなりびっくりしました。どうりで、求めていないアドバイスばっかり押し付けられたわけです。

以下は少し被害者の役に立つかも?

その時から、「私は普段から、求めてもいないアドバイスしたがりの人(クソバイザー)のスイッチを押してしまう話し方をしてしまっているんだ」と、気付きはじめました。私は自分のことや仕事に関して、反省点や未熟な部分を探して、どうしたらよりよくなるか時々考えるのが好きです(いつもではないです)。

普通の友達や仕事関係の人であれば、共感してくれることがほとんどで、仮にアドバイスされたとしてもイラっとすることなく会話が過ぎていくのですが、Pさんのように誰かにアドバイスしたくて仕方ない人からしたら、自信がなさげに見えて、格好のターゲットみたいですね。そういう人って結構いることに気付きました(同時に自分もクソバイザーになってないか気を付けるようになりました)。自信満々に見えるけど根底は自分に自信がない人ですね。偏見なのを覚悟で書くと、スピリチュアル風の世界なんかにも結構いる感じがします。

それに気付いてからは、面倒くさそうな人の前では「特に困ってることない」という気持ちをしっかり押し出して接するようにしています。そうすると面白いように全員、「最近困ってることないの?」と聞き出そうとしてきます。マウンティングされやすい心当たりのある方は、「私、困ってませんので」を強めに装うのを是非お試しください。

 

って、Pさんのびっくりエピソード書きたかったのに、違う方向でオチがついてしまいました。本当にただの愚痴というか悪口ですが、また書きたいと思います。

自分を大切にすることから。

自己愛被害の真っ只中の人が逃げるための気力を取り戻すには、「自尊心を取り戻す」が最大のポイントだと思っています。

私は、限界がきてから常に心がけていたのは、「自分を大切にするためのことをする」ということです。これは以前紹介した下の「自分をたいせつにする心理学」というブログ(特にカテゴリー「認知と癒し」に分類されている記事)や、心理系の本やサイトを読み漁ってたどり着いた結論です。

nanahime.blog71.fc2.com

私を含め、被害者の人って、自分がもうボロボロの状態であっても、加害者や、見当違いな意見で責めてくる周囲の人たちにまで気を遣ったり、頑張るのはもう辛いのに、「もっと頑張れる、頑張ろう」と思いがちですよね。それって結局「周りを大切にすると見せかけて、自分を大切にしていない行為なんだな」と分かりました。結果として自分が病んでしまったら、「自分が大切にしたい人を傷つけてしまう」ことにもつながるんだと気付いたら、なんて馬鹿らしい、かつ危険なことをしていたのかと思いました。

それまでは、極端に言ってしまうと、「自分が多少我慢しても人に気を使うことが美徳」「人がやりたがらないことも率先してやることが美徳」と思って生きてきたところがあります。心のベースにあるそういった生き方に対する美意識が、自己愛とその周囲の人たちに関わったことで大きく変わりました。

(それ以前に自己犠牲しすぎてしまう人の根底には「私なんかどうせ」といった気持ちがあるわけですが、それについては長く&重くなるのでまた別の機会に・・・。)

今まで大きな被害にならなかったのは、関わる人たちが優しかったからで、相手によっては吸い尽くされるだけだと身をもって理解しました。

今私の周りには自己愛はいないので、練習として自分で「ここが限界」というラインを、意識的に、若干手前に引くようにしています。

例えば自分がキツくなりそうな仕事の依頼があった場合、「他にやる人いないだろうなあ・・・」などと勝手に想像して引き受けるようなことはせずに、まず自分のスケジュールだけを考えて「ちょっと無理ですね」と言ってみるようにしています。意外とあっさり引き下がったり、違う案を持ってきてくれたりします。

それまでは、しれっと断っている人を見ると「冷たいな」と思っていましたが、まずは人のことよりも自分を大切にしてみる練習を小さなことからやってみています。

もっと手前のこと

あー、また、最初に書こうとしていたことからズレてしまいました。上記のようなことを試すのは、自己愛と離れて元気を取り戻してからですね。それよりもっともっと前、自己愛から離れる気力もない「パトラッシュ・・・」な状態から心を取り戻すためにやったことを書こうとしていました。それも突き詰めれば、「自分を大切にすること」がベースになっていることに、今は気付いています。

以下に書くことも、一応ちゃんと心理学的にOKなこと(心理系の本に書いてあったり、カウンセラーの方にも良い選択だったと言われたこと)なので、参考になれば幸いです。

部屋に落ちている髪の毛を1本拾って捨てる

これは、今でも元気がなく布団から出たくない気分の時にやっています。たったこれだけのこと、と思いますが、この小さな積み重ねで、意外と元気になります。

落ちている髪の毛やホコリには、かなりの量の雑菌が繁殖していて、放置しておくのは、自分の体にとって良くないこと。それをほんの1つでも拾ってゴミ箱に入れるという行為は、自分の体にとって良いことをしたことになり、それは無意識レベルに作用して、元気が出てくるようです。

1本髪の毛を拾ってゴミ箱に入れたら、大げさに「あー私、今自分にいいことできたなあ。今日の目標達成。よくできました。」って思うようにすると、1日目は布団の中から手を伸ばして1本拾うことしかできないかもしれませんが、2日目はもう少し遠くの、2本、3本拾おうと思えるかもしれません。徐々に、もう少し自分が心地よくなれることをしてみようかな、という気持ちになってきます。

これも元気になってからのことですが、自分が過ごす空間にゴミを平然と捨ててくる人がいたら「あれ、この人って私のこと大切にしていないんだな」と気付けて、「この人を大切にする優先度は低いな」なんていう判断ができるようにもなりました。

五感を大切にする

これは、うつ病の対策などでも言われている一般的なことのようです。

自分がぺしゃんこになっているときは、とにかくまず「自分にとって何が心地よいことかを思い出すこと」が有効でした。その時、五感を意識するのは大きな指標になります。

私の場合、そろそろちょっと外へ出ようと思えた時、「どんな所に行きたいかな・・・」とよくよく五感を使ってイメージしてみると、心地よい風が肌にあたり、木々がその風に揺れている景色が浮かびました。

遠出する気力はないので、目の前が公園で、テラス席のある近所のカフェへ、平日の空いている時間を狙って歩いて行きました。飲み物もまた何となくとか、体に良さそうとか頭で考えて選ぶのではなく、「今私が飲みたいものはなんだろう?」と五感を使って決めました。

テラス席で、深呼吸したり、木々を眺めたり、本を読んだり、音楽を聴いていました。回復してからは全く行かなくなりましたが、本当にあのカフェの存在には感謝しています。

 

そんな感じで具体例はいくらでもあるのですが、全部書こうとするとまた更新が滞ってしまうので、このくらいにしておきたいと思います。どうか、ボロボロの気持ちの人が、少しでも自分らしさを取り戻せますように。

年内初の更新・・・

昨年末から全く更新せず・・・のこのこやってきました。

書き始めた頃のテンション(主に怒り)を100としたら、今は15~20くらいに落ち着いて、それと共に更新の原動力を失いました(笑)。

私が自己愛被害者の人たちが書いているブログを読み漁っていた頃も、初めは頻繁に更新されているのに徐々にフェードアウトしていき更新が止まるパターンはよくありました。立ち直ってどうでもよくなったんだろうなとは思うのですが、「いやそのどうでもよくなる過程も知りたいからー!」と思ってました。なのでたまに更新するようにはしたいなと思います(弱気)。

どうでもよくなった理由

怒りがおさまってきた理由の1つは、仕事の都合で発達障害についての本を読んだことです。何冊か読んでいるうちに、「ああ、こういう人たちって脳の回路が違うんだなあ。・・・J男もそれに近かったんだろうな・・・誰にでも情緒や共感力があるのが当たり前と思っていたから辛かったんだ」と突然腑に落ちました。

今まで散々自己愛について調べていた中でも、そういった「自己愛は脳のレベルで共感ができない」というようなネット記事は嫌というほど読んできました。でもその時はまだ「一見落ち着いていて、まともに見えるし」「最初はすごく親切だったし」という記憶が強くて、納得できませんでした。

今回は、相手と離れて数年が経ち、怒りも落ち着いてきていたタイミングで、自己愛とは関係ない、ただ仕事の情報収集として感情を切り離した所で気付けたのが良かったのだと思います。

それからJ男と離れた結果、自分で好きなようにのびのび仕事ができているというのも大きいですね。仕事をするのに誰かに頼りたい気持ちのままだったら、悔しさが残っていた気がします。

とは言え最近のJ男についても

相変わらず業界紙に投稿したり取材を受けて掲載されたり、入れたての浅い知識で業界内で講演をしたりしているようです。SNSで知るのですが、もうそういう情報を見ても怒りやイライラはなく、「憐れだなあ・・・」「気味が悪いなあ・・・」という気持ちです。人の役に立ちたいのではなく、業界内ですごいと称賛されたいのが透けて見えますし、そのためならやたら活動的になるのが不気味です。そのことに気付かないような、浅い関わりの人達にどれだけ持ち上げられても永遠に心は満たされないのに、本人がそれに気付かずに称賛を求めていて・・・憐れだなあと思います。

相手のSNSを見てしまうことについて

自己愛と離れたら、SNSなどは気になっても一切見ないほうがいいというのが一般論ですね。確かに、あまりにメンタルが不安定な時はネットそのものから離れる方がいいですし、相手のそばに戻りたい気持ちがあるなら見ないほうがいいでしょうね。

ただ、「もう二度と関わらない!」と決めて離れながらも、SNSを見続けている私自身の結果としては、「ちゃんと回復に向かっていれば見ても大丈夫」でした。もちろん無駄に腹が立ったりショックを受けることばかりなので、回復のスピードは落ちたかもしれませんが、気になる&見たいのを我慢しながら、怒りの記憶に耐えるのは辛かったです。

実際に感じたデメリットとしては、読んでイライラした時に周囲に怒りをぶちまけてしまうくらいでしたね。って周りには迷惑だったでしょうけど・・・。

ちなみに、SNSの内容を読んで「こんなことがあってさあ!ほんとムカつくよ」とぼやくと、「まだ見てるの?」「もう見ないほうがいいよ」って言う人もいるんですが、被害を受けていた時に辛さを訴えても分かってくれなかった人たちと見事に一致しました。「結局、私の愚痴を聞きたくないんだなーこの人たちは。私は相手からの愚痴や相談された時はちゃんと聴いてるのになぁ。」と気付けたし、そこでいちいち傷つかなくなったことにも、回復したなと感じます。昔からの友達や扉の開いた友達は、そんなこと言わずに「ひどいね」ってずっと聞いてくれました。ありがたいです。

ネットチェックは、こちらが不利益を被るような投稿をしていたら有力な証拠にもなるので、デメリットばかりではないと思います。

チェックする際のポイント

こちらがチェックしているのを気付かれると相手の思うつぼなので、ログや解析などで特定されない設定・環境で見るのは必須です。例えばSNSならログインしないで見るとか、全然関係ない人に頼んで見せてもらうとか。IPアドレスでアクセス元の大まかなエリアが分かってしまうこともあるので、新宿渋谷など大きい駅などに出かけた先でアクセスするのも1つの手かもしれません。相手がそこまでチェックする人かどうかにもよりますが(笑)

こちらの状況を把握させない

私は逆に、こちらの状況を一切分からせないようにするほうが大事だと思います。未練なんてないアピールのために投稿したりしたくなることもありますが、それこそぐっと我慢です。

SNSなら登録解除するか一切更新しない。共通の知り合いとは関わらない。

相手は絶対、多少なりともこちらの様子を知りたいでしょうから、情報なんて1ミリも与えないほうが仕返しになると思っています。

私の場合は幸い、自己愛あるあるの「逃げられた相手にもしれっと連絡する」は一度もされなかったというのもありますが、この選択を取って良かったとハッキリ言えます。

気負うと書けなかった

年始からずっと「今つらい人の役に立つことを書かなきゃ」と書きかけては完成せず・・・を繰り返していましたが、その気負いを捨てたら、こんな感じで書けました。役に立つかはわかりませんが、とりあえず良かったです。

回復の道のり

前回の最後に、今後書きたい内容を予告したせいか、アクセス数が普段よりUPしていて焦ってしまう小心者。ちゃんと書かねばと、当時カフェで泣きながらメモを書いていたノートを引っ張りだしてきたところですが、記事にするにはもう少しかかるかと・・・。

逃げてからも疲れる…けど逃げるために

自己愛から逃げられない心理になってしまうのは、「離れた後どうなるか」を予測できないのが1つの理由だと思います。人間、先の見えないことを選択するリスクより、多少不便でも現状維持を選んでしまうものですからね。自己愛の被害でメンタルが弱っていたら尚更です。

なので今日は私が逃げることを決めてから現在までの心の移り変わりを振り返ってみました。

  • 辞めると伝えた直後:恋愛の「自分から振ったのに寂しくなる」パターンのような何ともいえない切ない気持ちが押し寄せてくる
  • その寂しさと「やっぱもう無理」が交互に押し寄せてくる中で「うまくやる方法あったのかな・・・ないよな・・・ない」の自問自答を繰り返して、辞める日を待つ。
  • 無事退職
  • 清々しさいっぱいながらも、完全には気持ちは晴れない。
  • 相手の動向がすごく気になって調べてしまう
  • 徐々に「やっぱ変だったよなぁ」と思う余裕が出てくる
  • 「やっぱ変だった!」と確信に変わり、「何で我慢してたんだろう!」と怒りのみになる(ブログ書き始めの頃)
  • さっさと忘れたい。

という感じです。恋愛だとこう簡単にはいかないとは思いますが。それに、離れることをすすめておきながらあれなんですけど、残念ながら、離れてからも別の意味でしんどいっていうことはお伝えしておきたいです。まずは執着心を断ち切ることの辛さ。離れた後も、されたことへの怒りがわいてきたり、逃げられて後悔しやがれって気持ちだったり、他の人はなんで気付かないで付き合っていられるんだろう?!というイライラだったり・・・。

第一関門

そんな気持ちの波・・・特に最初の、「相手への執着心や可哀そう・私が救ってあげたいという気持ちを切り捨てる」ことの辛さを乗り越えるためにも、行動に移すなら「何があっても絶対に戻らない」と決めてからでないと、結局また同じことの繰り返しでどんどん辛くなると思います。つまりは、ある程度心が回復してから&当面の生活費などの目処がついてからがいいのでしょうね。できれば扉が開いている味方がいるのが望ましいです。

ってエラそうに言えるのはもう心が離れたからであって。当時の私は「辞めてみて、それでもどうしても辛かったら、また程よい距離で(勉強会とかだけ)関わればいい」と言い聞かせることで、離れがたい気持ちを断ち切っていましたね。けなげ~。この矛盾する感情に理由をつけるために、「私、結局J男のこと好きなんだろうな」と思い込んでいましたね・・・怖い怖い。

実際離れてみたら、「うわーーーこの平穏が普通の日常だった!」という気持ちが圧倒的で、「絶対に戻るなんてあり得ない、二度と会うかペッ!!」って思えました。そのあたりは最初の頃にも書きました。

pegrecovery.hatenablog.jp

私の場合、関わった期間が短かったこと、恋愛関係でなかったこと、相手は気が小さくてプライドが高いタイプなので一度も連絡してこなかったことが良かったです。「もし連絡してきたらこう返してやるんだ」って日々ナイフのようなセリフを練っていたので(←陰険)、どんな言葉を言われても戻ってしまうことはなかったですが。

これは、一度回復した後にリバウンドしてしまった時のショックが大きかったから「何と言われようと無理」と思えていたのもあるし、沢山の自己愛対策をネットで収集していた成果も大きいと思います。

第二関門

「戻らない」という第一関門を乗り越えたとしても、回復するにつれて怒りがどんどんわいてくる時期がきて、相手の動向も気になる・・・。この期間が思った以上に長くて疲れます。考える時間を減らすために、夢中になれることや忙しさの中に身を置くのが良いかと思います。恋愛の場合なら、次の恋愛ってことになるんでしょうけど、自己愛被害にあった後にすぐ次の恋愛にいける精神力の人ってなかなかいないと思うので・・・。行きたい所、食べたいもの、会いたい人、読みたい本、見たい映画、やってみたいこと・・・たくさん考えておくのもいいでしょうね。わくわくすることを考えるだけでも心の回復につながると思います。

私は10日くらい休んだらすぐに独立準備に取り掛かりました。それまでの私だったら、「しばらくゆっくり休もう・・・チーン」となっていたはずですが、人生で初めて、「あんな奴のためにうちひしがれて、これ以上貴重な時間を無駄にするなんて絶対に嫌だ!!」というものすごい反骨精神がわいてきて、怒りを原動力にして動きました。普通最低でも半年くらいかかるところ、ゼロの状態から2か月半後には何とか形にして事務所オープンしたので、愚痴を聞いてくれていた友人たちはびっくりしていました。

ちょっと話がズレますが、扉が開いていない友達は、慰めのつもりで「辛い思いをしたおかげでこうやって開業できたと思えば・・・」みたいなことを言ってきがちなんですが、「いやちょっと待ってそれだけは絶対ないから。あんな奴のおかげでなんて思いたくないし、あんな経験しないで生きていけるなら絶対そのほうがいいから!」ってすかさず制止してきました。その気持ちは今も変わりませんけど、大分落ち着いたので、「扉が開いたきっかけが、あの程度の自己愛でよかった」とは思います。もっと頭の切れる相手だったり、恋愛・結婚相手だったと想像したら辛すぎます。

どうか、あの頃の私のような辛い思いをしている人が早く逃げて回復できますように。

これからのこと

エピソードひと休み

びっくりエピソードを連続して更新してみて、スッキリする反面、思った以上に疲れるし、時間もすごくかかるし、何より「あの忌々しい記憶に縛られている時間とエネルギーが無駄過ぎる」という気持ちが大きくなってきました。もうそこそこJ男のおかしさは伝わったかなと思うので、ちょっとエピソードはひと休みします。

元々は、「今苦しんでいる人の力になれれば」という気持ちで始めたのが大きいので、そろそろそちらにシフトしていきたいです。また何か思い出して書いちゃうかもしれませんけど。いや絶対書くだろうな・・・。

カウンセリングでのこと

先日カウンセリングで、久しぶりにJ男のことを話しました。最近は話に出すことはほとんどなかったのですが、このブログを書いているうちに、また聞いてほしくなったので。カウンセリングに通い始めた直後は、J男のおかしさを話そうとすると頭が混乱してしまっていたので、大きなエピソードは未だに話せていないんです。落ち着いた今でも、話すだけでカウンセリングの時間が半分以上過ぎてしまいそうですし。なので小ネタを少しずつ話してきて、J男の人となりは大体伝わっています。

その日、カウンセラーの先生は私の話を一通り黙って聞いてくれた後、「ペグさんとその人(J男)のやろうとしていることは全く別のものですから、ペグさんは自分が良いと思う方向だけ見て進んでいけばいいと思いますよ」というような意味のことを、静かに静かに言いました。

文字にしてしまえばすごく普通の言葉で、「それができないから辛いんだすよ」っていう話ではありますが、「J男とはやろうとしていることが全く別もの」という言葉を言ってもらえたとき、「そうかぁ」と思えたし、それを分かってくれてるんだ・・・という所にとても救われて、力が抜けました。

私はずっと、今の仕事における一番の目的は(収入は置いといて)、

「困っている人の力になる」

という点は、J男も同じだと思い込んでいて、考えたこともなかったのですが。J男の行動を思い返してみると確かに、表面的にはそういうことを言っていましたが、実際はひたすら、「何がしたいのこの人?」という感じでした。

カウンセラーの先生は、今までのカウンセリングの間に話してきた内容から、私の仕事への思いやJ男との違いを拾い上げてくれていたんだなあ・・・と思えました。

それでも相変わらず、思い出してはイライラするし、すぐに気にしないようになんてできないんですけど。こういうのを重ねながら、少しずつ前に進んで行こうと思っています。

他でカウンセリングを受けたことはないので比較対象がなく、料金もそれなりですし、「こんなんで私の問題解決するのかな?」と思うこともあるので、カウンセリングを強くお勧めするつもりはないのですが。周りに扉が開いた人がいない場合の1つの選択肢になると思います。下手に友達に相談して傷つくより、お金を払って、決まった時間内で、専門家に受け止めてもらいながら心を取り戻していく方が、回復への効率は良い気がします。

抑うつから抜け出すためのセルフワーク

以前も書いた通り、カウンセリングと出会う前の、抑うつ状態から抜け出す時には、色々な書籍、そしてWEB上で見つけた心理系のワークが一番力になってくれました。そのあたりも、次回以降で紹介していこうと思います。