ドタキャンが多い

これからは、私が関わった自己愛人間のことは、自己愛の頭文字を取って「J男」と表記したいと思います。

自己愛性人格障害とドタキャン

自己愛について調べるようになってから、「ドタキャンが多い」という特徴をちらほら見かけました。

自己愛性人格障害とドタキャン傾向

こうした情報を読みながら振り返ってみると、かなり最初の頃から頻繁に、小さなドタキャンを繰り返されていたことに気付きました。その時のJ男に、心の入った「すみません」の言葉や、申し訳なさそうなそぶりはありませんでした。

恐怖!自己愛的ドタキャンだと気付けない

なぜそんなことを繰り返されても疑問を抱かなかったかというと、ごく普通の社会人であれば、仕事上も年齢も目上の立場である相手と約束をしていて、「明日の予定はダメになった」と言われたら、受け止めるしかないですよね。

今考えれば、時間で給料をもらっているわけではない相手です(業務委託の契約でした)。謝罪もなく何度もキャンセルされて黙っている筋合いはないんですよね。

でも、目上の人には礼儀正しくすることが大切だと信じてやってきた私には、咄嗟に意見するという選択肢はありませんでした(今ならありますが!)。

J男は初めの頃は私に大袈裟なくらい気を使ってきていたので、「謝らないということは本当に忙しくてキャンセルなんだろう」と思ってスルーしてしまっていました。あまりに当たり前のようにキャンセルをするので、「え?」「そんな簡単にキャンセルできる約束だったのか・・・な?」と呆気にとられてしまう感じです。

私以外にも

当時は「私にしか迷惑がかからないドタキャンばっかり。誰ともこの気持ちを共有できない」と苦しかったのですが、そのうち他でもドタキャンをしているという話が聞こえてきました。その界隈では「連絡なしキャンセルの人」として有名になっていたようです。なので悪意でやっているのではなく、本当に罪悪感がないのかもしません。

他人の時間は他人のもの。なのに。

そもそもJ男にとっては、お互いのために時間を確保していた約束をドタキャンすることが、相手に対して失礼なことであるとは、想像にも及んでいないようでした。ましてやビジネスであれば、相手に損失を与えていることになるので、だからこそ「申し訳ないです」の一言があるはずなのですが。

後々、ドタキャン以外のびっくり言動も含めて、「ああ、この人には『相手の時間は相手のもの』という概念がないんだ」と気付きました。表面的な言葉を鵜呑みにしていると、優しくて物分かりのいい人に見えますが、心の底では(多分無意識で)、相手の時間も、相手が時間とお金と労力をかけて身につけたスキルも、

「自分の素晴らしい構想のために無償で提供されて当然」

と考えているんだと感じました。普段は表に出てこないので気付けなかったのですが、自己愛スイッチ(私が勝手にそう呼んでいます)がONになった時に暴走して表出してきます。そして徐々に、ONになる頻度が上がってきていたように思います。これについてはまた別の機会に書きたいです。

キャンセルの話題に戻りまして

それでも最初は相手からキャンセルの連絡がありましたが、最後の方になると「今日の打ち合わせは・・・」と連絡すると、「え、今日打ち合わせでしたか?」ということもありました。もちろん、後日顔を合わせた時の謝罪なしです。「え?!」となって何も言えませんでした。

また別の日には、私が申し込もうとしていたセミナーのチラシを見て、「僕も行きたいです」と言うのでその場で2人分オンライン申し込みをしました。「申し込んでおきましたよ」と言うと、「それ何日ですか?・・・その日、僕予定があって行けないです。」と言い放ち、謝罪もなし。これはドタキャンエピソードの中では最大級レベルの

「はぁ?!」

でした。セミナー主催者に、すぐに平謝りの連絡をしました。

そこまでされても、「ちょっとおかしくないですか?」と言えなかった私…。年上の男性が平然としてくるおかしな態度に、1対1で面と向かってキッパリ文句を言うことって、なかなかできません。しかもおかしなことは会うたびにほぼ毎回1回はあるので、毎回気を使いながら指摘するのもこちらが疲れます。なので、徐々に「ほかの人に迷惑がかかることだけ指摘しよう、私さえ我慢すればいいことは、黙っていよう・・・」というダメな思考になっていきました。

その職場はJ男と私以外のスタッフがいない、完全な個人事務所だったので、周りに人がいなかったのも運が悪かったです(今思えば、誰も寄り付かない空間だったということなのですが)。それまでは、同じ職場におかしな人がいたら、守ってくれる上司や、影で「あいつヤバイよね」と言い合ったり、いざとなったら証人になってくれる同僚がいました。

それまでそういうまともな組織でしか働いたことがなかったので、助けを求められる人が誰もいないという状況は、なんて無力で無防備で危険な状況なんだろう!と気付いた時、とても怖くなりました。J男の職場の外での交流を見ても、自分より目上の人とは親しく関わっておらず、年齢や業界歴が自分より短い人ばかりとつるんでいて、相談できる人がいませんでした。逃げ場なし。

最近、そんな思い出話を「扉が開いた友人(下記の前回記事参照)」にしたら、「だって自己愛は、そうやって追い込む状況を作るのがうまいんだから、しょうがないよ。」と慰められました。 

pegrecovery.hatenablog.jp

文句を言えない代わりに

最初は「忙しいんだろうし仕方ない」と納得していた私も、流石におかしいと気付いてからはイライラするようになります。そして、文句を言ったりキッパリ辞めるかわりに、健気にも「こんな奴なんかに屈しない」「クライアントや外部の人に迷惑がかからないだけマシ、耐えて、ぐうの音も出ない結果を出してやる」と思って自分を奮い立たせ、仕事を頑張っていました。そしてほんの少しだけ、「これだけ我慢しているんだから、いつか私の気遣いに気付いてくれるだろう」という期待もありました。

目を覚ませー!全部間違ってるから!!

と自分を往復ビンタしたい気持ちです。

その後、決別する最初のきっかけとなる一番大きなキャンセルが起きるのですが、それだけで長文になってしまうので、別の機会に。

ドタキャンで自己愛を見分けるのは難しそう

プライベートでのドタキャンは、忙しい仕事や不定期な仕事についている人ならありがちなことです。本当に忙しいと、毎回心からお詫びする余裕がない時もあると思います。

私の場合は仕事上の関係だったので、繰り返されるうちに「これは普通のキャンセルじゃない、おかしい」と気付けましたが、それでも「これも自己愛の特徴なのか!」と気付いた頃には、もうかなり自己愛によるダメージを受けてしまっていました。

これがプライベートな関係だったら余計に、なかなか気付けない・文句を言えずに追い詰められるんじゃないかな、と思います。ドタキャンの連続に不満を言って、もし「こっちは仕事なのにワガママ言うな!」と返されたら・・・それが自己愛的な発言か、単に余裕がなくて言ってしまった発言なのか、判断は難しそうです。扉が開いていない相手に愚痴ったところで、単に「会えない不満を愚痴っているだけ」と思われてしまいそうですよね。

私もまだ扉が開いていない時に、もし友達から「彼がいつも仕事で約束をキャンセルするんだよ・・・なんでって言うと、すごい勢いで怒られる」と延々と愚痴られたら、「彼もきっと忙しくて余裕がないんだよ、自分の時間を充実させたらどう?」なんて的外れの励ましをしていたと思います。

そーいうことじゃあ、ないんだよぉー!!!

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と思ったら、何かがおかしいサインかもしれませんね。

今回、ドタキャンエピソードについてはかなり省略しました。またびっくり度が高いものを思い出したら書きたいと思います。