この数日で感じたこと。

ここに色々綴り始めた効果なのか、日にち薬の効果なのか、J男への執着がまた1段階薄らいだ気がします。

離れた後の自己愛の行動を知っても良いことなんてない

私がJ男の近況を知るのは、TwitterなどのSNSか共通の知り合いを通じてなのですが、最近はインパクトのある情報が入ってこないのも、執着が薄れている要因だと思います。離れたら、相手の情報を目にしない耳にしないのが一番いいというのは本当ですね。やっぱりどうしても気になって時々SNSは見てしまうのですが、見て良かったと思ったことはありません。ただ1つ、私の後に入った人も、1年経たずに辞めたことを知れた時だけは、「やっぱりね!」とちょっと溜飲が下りましたけど。またすぐ別の人を雇ったのも知ってしまったので、プラマイゼロ。

社交辞令が通じない

先日は、久しぶりにmeiちゃん(扉が開いた友達)と会ってゆっくり話せたのですが、やっぱり小一時間は自己愛トークになりました。今回話していて分かったのが、自己愛は「一般社会での社交辞令としての相槌」を、真に受けてしまうということです。meiちゃんの相手も、J男もそうでした。仕事で連携していく先輩的立場の人ですから、ある程度愛想よく「そうなんですか」「すごいですね」と聞くことが、私たちが身に着けてきた処世術(ってほどでもないレベル!)だったのですが。「こんなに熱心に話を聴いている=俺のファン」となってしまうのが自己愛。恐ろしい・・・。今思えば、J男の周りにいながらターゲットにならない(なっても負けない)女性たちは、私からすると「そ、それは目上の人に失礼過ぎるんじゃ・・・社会人的にナシでしょ・・・」という勢いで、ズケズケと意見していました。そこまででなくても、初対面から無理に愛想よくしないのも、自分を守る術なんだと思いました。って、言うほど愛想よくはないんですけどね・・・自己愛は小さな相槌さえも賞賛として拾い上げてしまうからなあ。扉が開いていないうちは、防ぎようがない気がします。

今回初めて聞いたのは、meiちゃんが被害にあっていた時に号泣するほど救われたのは、「旦那さんのDVが原因で離婚した女友達」からの言葉だったということ・・・やはり扉が開いた人でした。話を聴いてもらうなら、扉が開いていない100人より、扉が開いた1人。これは絶対ですね。

優しくありたい

また別の日には、心身とも弱っていた頃の私に「ペグちゃんにも隙があった」と言った同業の友人にも会いました。今現在、その友人が職場の上司に悩まされています。その上司は自己愛ではなさそうですが、かなり理不尽なことを言われているようで、私がJ男に「はぁー?!」となっていたのを思い出すような内容もありました。それを聞きながら「私なら『あなたにも隙があった。』なんて思わないし言わないなあ」と思いました。この友人は大切な友達でこれからも付き合っていきたいのに、こんな微妙な気持ちを抱えてしまうきっかけを作ったJ男はやっぱり憎い!

でも、もしかして扉が開いていない頃の私なら、うんざりした時には「そんなに嫌なら辞めちゃいなよ」くらいのことは言ってしまったんだろうなと思います。扉が開くと、辞めるのをすすめるにしても、「その人、おかしいね。他の人たちとはちゃんとやれてこれたあなたがそんなに傷ついていることが何よりの証拠だよ。我慢して続ける意味ないと思う」みたいな言い方になると思います(確実に自己愛だったら、もっと断定的に辞めるの促しますけど…笑)。

そういう意味では、自己愛から逃げたことで、今までなかった優しさが身についたというのは少しはあるかもしれません。それに、自己愛に振り回されてしまった自分自身と向き合う中で、「人に優しくあるためには、自分が強くなる必要があるんだ」と気付きました。弱い人間が人に優しくするのは、まあうまくいくことが大半でしょうが、大事故にも繋がる側面もあると身をもって知りました。強くなるといっても、相手を抑え込むような力ずくの強さではなく、しなやかな強靭さみたいな強さ。今はそんな強さを身につける心がけをしながら、自己愛被害から自分や大切な人を守っていけるようになりたいと思っています。